好かれる事は嫌われる事

tyari

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おはようございます。

理事長の内海です。

そもそも、
万人に愛され、万人受けする人っているのだろうか?
私たちのような「個人ブランド」で勝負する人間にはそんな人はいないし、
そうなろうとする必要もない。
私はある部分にはとてもこだわるがある部分は全くこだわりが無く「捨てて」いる。
私の事を好きになってくれる人は
「こだわり」の部分が良いのであり、
私の事を好きになれない人は
「こだわり」が無い部分が不満なのだ。
私の事を好きになってくれる人は
私の「行動的」「情熱的」でありながら、結構しつこい部分を認めてくれているのであり
私の事を好きになれない人は
同じ部分がイヤなだけだ。
と勝手に分析している。

人間には誰でも凹凸があり、
その凹んでいる部分を直していこうとする事が「嫌われない」ための努力であり、
凸の部分をさらに尖がらせていこうとする事が「嫌われる事を恐れずに好かれる」ための努力だと思う。
そして、凸の部分を好きになってくれた人とは生涯付き合って行けると私は考えます。
私は嫌われないための努力をしたことがないので分からないが、
嫌われないために凹みを直そうとする努力は並大抵ではないんだろうな~と想像する。
そして、その結果、嫌われてしまったらますます「嫌われないための」努力をするんだろうな~
と同情すらしてしまう。

私はそのために無駄な時間を費やしたくない。
私はさらに自分の凸の部分を磨き尖がらせていきたい。
それが私が出会う人にとっての幸せになると思う。

これから売れる専門家を目指す皆さんへ
「嫌われてる」噂を耳にするようになったら、もう一息です。
あなたの凸の部分を尖がらせて磨いてください。

(写真は近所をサイクリングしている時に偶然お会いしたお客様に撮られた写真です。結構気に入っています。)

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